今日は、新生児期から息子にギャン泣き拒否されていた実家の父が、なぜ現在は息子からこんなに好かれているのか?というお話です。
産後、退院して1週間で息子の大量嘔吐続きですっかり弱気になった私は新幹線の距離の実家にひと月戻り、それからも育休中は毎月〜隔月ペースで帰省していました。
実家の父はもともと子煩悩で、私の兄が誕生すると、おもちゃ屋に連れて行き、兄が触れたぬいぐるみをすべて買って帰ったという逸話があります。そんな父なので初孫の息子を生まれた時から溺愛してくれています。オモチャや育児グッズへの探究心は私など父の足の爪程にすら及ばず、これまでもバウンサーやお食事椅子、歩行器、知育オモチャ、ベーシックな絵本から英語やひらがなの音の出る本まで、全て父が厳選して息子にプレゼントしてくれました。
そんな父ですが、息子はなかなか懐きませんでした。新生児期にはまだ何も分からず抱っこされていましたが、生後2ヶ月になると、父が触れたり抱っこしようとすると火が付いたように泣くようになったのです。人見知りするには早すぎる時期なのに。これには周囲も心を痛めました。誰よりも息子を愛していて、息子のために多大な時間と労力をかけてくれる父に申し訳なくて。
でもそれからもずっとずっとそんな時期が続いたのです。でも振られても振られても父は決して心折れませんでした。
息子が大好きなお歌を集めた特選動画集を作り、離乳食のために農園を借りて無農薬の自家製野菜を育て、息子を近所のお散歩に1日何度も連れ出しました(泣くので母や私同伴で)。息子は脚力が尋常でなくバウンサーに乗りながら近くのものを蹴って揺れを増幅させるのが大好きな子でした・笑。父はそんな息子のために、クッション付きのキックボードまで作ってくれ、それを息子は嬉々として蹴り上げてユッサユッサと揺れて遊んでいました。ハイハイを始めると、何故かハイハイ練習機をDIYして送ってくれました。
息子が1歳を過ぎて歩けるようになると、1日に2〜3回公園に連れ出してくれました。最初は母や私の同伴でないと家を出なかった息子も、1歳9ヶ月になると機嫌がよい時は二人で公園に出かけるように。大好きな公園にいつも連れて行ってくれる父に息子も徐々に心を動かされていったようです。
息子が2歳の誕生日を迎える頃には、明らかに父への親しみが増えてきていました。ツンデレの息子は父が居るときはそっけないのですが、居ない時は「じいちゃんは?じいちゃんは?」としきりと気にするようになったのです。2歳の誕生日を実家で過ごし東京に戻った直後から、
息子:「チンカンチェンのるの〜、おおさかいくの〜」
私:「大阪で誰に会いたいの?」
息子:「じいちゃんあいたい〜」
という会話が無限ループになりました。
前回の帰省から2ヶ月経った先日の帰省にて、新大阪の新幹線の出口に迎えに来てくれた父に、ツンデレの息子は恥ずかしそうにパッと一瞬目を反らしたのですが、隠しきれない笑顔で溢れていました。車で実家に移動中、後部座席の息子は助手席の父に「ててちゅなぐの!」と言ってずっと手を離しませんでした。そして車を降りるやいなや「じいちゃんだっこちたい〜、じいちゃんだっこちたい〜」の嵐!(※ちたい=してよ)
私が出張先で仕事中も、父に公園や児童館やスーパーに連れて行ってもらったそうで、帰宅すると夫を差し置いて二人でキャッキャ言って遊んでいました。
あんなに嫌がられても、諦めずに息子に濃密に関わり続けてくれた父の努力が報われ、周囲もホッとしてとても嬉しい気持ちです。
ちなみに父は新生児時代から週に一度ほど私が送っている息子の動画を今でも心待ちにしており、滞っているとすぐリマインダーが来ます(笑)。息子が目の前にいるときも、これまでの動画総集編を見ながら、動画での息子の行動を分析して得意げに解説してくれる父なのでした。