広尾の日赤でVBACした体験談(5)出産レポ・後編

それでは、出産レポ後編です~。

はじめのうちは帝王切開の術後の痛みよりマシと思っていたけど、やはり時間とともにどんどん痛みはましていく。

骨盤が開くんだからそりゃ痛いよな~と、冷静に考えたりしたけど、やはりとんでもなく痛い。

19:00、陣痛がうめき声をあげるくらいの激痛になってきたところで分娩台へ。

VBACは帝王切開になる確率が高いので本陣痛が来てからは絶食と事前にもらったプリントには書いていたので最初はその通りにしていた。

でもお腹が空いたので、助産師さんに念のため確認してみるとなんと飲食OKだった。

空腹で激痛との戦いはエネルギーを消耗する一方だったので助かった~。

分娩台に上がって陣痛に耐えている間も、助産師さんに「今のうちにエネルギー補給はした方がいいですよ」と言われ、母にすりリンゴゼリーを口元に持ってきてもらって、痛みの合間に一気にのどに流しこんだ。

といっても、陣痛の間隔が狭すぎて、合間の痛くない時間は本当にわずかしかなかった。

しかも痛みに耐えるので必死で、目をぎゅっと閉じずにはいられなくなっていた。

ソフロロジー呼吸法のことを学習した時に目は開けた方がよいと書いてあったから気を付けようと思っていたけど、目を開ける余裕が本当になかったんだよなぁ。

それに、ソフロロジー呼吸法のことがそもそも頭からふっとんで思わず大声が出てしまったりして、息子はうるさいな~とクレームが来たりしていた(笑)

助産師さんが、「声を出すとそちらに体力を使ってしまうので、ふーっと息を吐くだけにしてみましょう」と理論的にアドバイスしてくれるので、次はがんばってみようと思えた。

とにかく助産師さん最初から最後まで本当に頼りになるのでとても心強かった。

入れ替わり立ち代わり違う助産師さんがきても、全員が何とか良くしてあげようというホスピタリティにあふれていたから。

必死で陣痛をやり過ごしていると、母が小声で、「どうですか?もうすぐですか?」と聞いて、「う~ん、まだかかりそうですね」と助産師さんが回答されているのが聞こえて、モチベーションがダダ下がる(笑)

分娩台に上った時点で「ここまできたら経腟で行ける!」と安堵する一方、なかなか進まない停滞感に急激に体力が奪われていくのを感じていた。

20:00、ついに両足にシャカシャカしたカバーが装着され、「いよいよ産まれるのか⁉」という気運が高まった(笑)

20:20、ここで病院に来て初めて医師達が登場。ここまではずっと助産師さんしかいなかった。これはもう、いよいよだなと覚悟を決める。

ほとんど目を開けられる状態じゃなかったので分からなかったけど、実際3人の医師がいたらしい。

20:25、突然、「心拍が低下しているので吸引しますね」とリーダーっぽい女医さんに告げられ、動揺する間もなく痛み止めの注射を打たれて会陰切開。

注射のおかげで切開の痛みは全く感じなくて、かなり切っていたと思うけど切られる感触もあまり感じなかった。

20:30、ブィーンという爆音とともにダイソンもビックリの吸引力を股に感じて、2度目の吸引でズヴォヴォヴォヴォ~と赤ちゃんが奥から吸い出される感覚があった直後、オンギャ~!!!と産声を上げた。

母は助産師さんに「ありがどうございましだ~」と言って号泣、夫はひそかに泣く、息子は眠くなって帰りたがる、私は疲れ果ててぐったり泣く、という4者4様の出産シーンだった。

赤ちゃんを見ると、生まれた直後なのに目がカッと開いていて驚愕してしまった。胎脂や血にまみれているのでスプラッター映画みたいな感じだった(笑)。

それと髪の毛がふさふさで耳にかぶるくらい伸びていたので、ぼ~っとした頭で「髪切ってあげないとな~」とどうでもいいことを考えていた。

その後は会陰切開の縫合が始まったけど、縫合していたのは吸引とは別の女医で、ぶっきらぼうな物言いでものすごく不機嫌そうだった。

案の定、縫合が荒々しくて(猛スピードかつ雑)恐怖を感じ、しかもかなり痛かったので「イタタタ!」と声を上げてしまったので、追加の注射を打たれてガンガン縫われていった。

やはり吸引カップを装着するためかなり切ったみたいで、中も立体的に縫合していくというようなことを言っていた。

最後の一針を縫い終わった瞬間に縫合していた女医がもう立ち上がり「おめでとうございますー」と無表情でつぶやきながら退出していった。

母も夫も私も「この医者は一体なに???」と目が点になってしまった。

産まれた赤ちゃんの方はすぐに裸のまま分娩台に横たわった状態の私の上に乗せられていた。

上からタオルが掛けられていたけど、子宮収縮のためにお腹をアイシングの腹巻がまかれているので、赤ちゃんが冷えてしまわないか気が気じゃなかった。

前回出産した東京医科歯科では、一瞬の対面の後、すぐウォーマーで温められて検査のために別室に運ばれていったので、いつになったら連れて行ってくれるのだろうと不思議に思っていた。

後日、助産師さんに聞いてみたら、日赤ではよほどのことがない限り、ウォーマーで温める対応はしないそうで、カンガルーケアがデフォルトだった。部屋が暖かくしているので低体温症の心配もないとのこと。

でも私のお腹をアイシングしてるし、赤ちゃんにバスタオルしっかりかけないと寒そうで実際何度もくしゃみしていたし、本当に心配ないのか気になってしまった。

21:00、眠くなった息子を連れて、夫と母と帰宅。

とにかく疲れ果てていたし、正直一刻も早く赤ちゃんを温かくして連れて行ってほしかったけど、そのまま1時間半もこのカンガルーケアは続き、さらにぐったり度がましてしまった。

22:00、同じ体勢のまま、何度目かのトライで初めての授乳に成功。結構グビグビ飲んでいた。

22:30、助産師さんが温かいタオルで全身を拭いてくれた。助産師さんと見習いの学生さんに付き添われて車いすで分娩室内のトイレへ。

便座に移ろうと立ち上がった瞬間、貧血で数秒意識を失う。その後、リカバーして何とか産後初トイレをすませた。

22:45、車いすで病室へ移動。やっとゆっくりできる!!!と思ったら、なんと出産直後から母子同室と聞いて、えぇ~っと打ちのめされる。

出血量も多くて貧血で朦朧としているし、どう考えても赤ちゃんをケアできる状況にないので困ってしまった。

それに赤ちゃんを寝かせるコットには呼吸感知器も付いていないから(東京医科歯科には付いていた)、異変があっても気づけない!

なので、今晩だけはどうかナースステーションで預かってほしいとお願いしたら、OKをもらえたので心の底からホッとした。

とにかく、ねむい!つかれた!つかれはてた・・・

その晩は、赤ちゃんが泣くたびに助産師さんが授乳させに連れてきてくれるのでありがたかった~。

ちなみに会陰切開の傷の痛み用に鎮痛剤をもらえるのだけど、デフォルトがカロナール(アセトアミノフェン、赤ちゃんも飲めるマイルドな薬)だった。

もっと強いのを下さいというと、ロキソニンを持ってきてくれた。それよりもっと強いボルタレンの坐剤は聞いてみたけど、この時はもらえなかった。

翌6:00、授乳させに来てくれた助産師さん、「もう大丈夫ですよね」とコットを置いて部屋を出ていく。

ここから退院まで完全母子同室生活を送ることになった。

その時点では帝王切開の時は赤ちゃんを持ち上げるだけでも、傷がビキっと痛んだけど、経腟だと楽だな~と能天気によろこんでいた。

でも、本当のジゴクが始まるのはここからだった。

(6)6へ続く。

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